広島城は、豊臣秀吉の五大老の一人として知られる毛利輝元が築いた典型的な平城です。
江戸時代には、福島氏、次いで浅野氏が居城していました。築城以来の天守閣は昭和6(1931)年に国宝に指定されましたが原爆によって倒壊し、昭和33(1958)年に外観復元されました。
平成元(1989)年には築城400年を機に内部改装を行ない、現在は武家文化をテーマとした歴史資料館となっています。
広島城は別名「鯉城」とも呼ばれています。
これは城が建てられた一帯が、「己斐浦(こいのうら)」と呼ばれており、地名の「己斐」が「鯉」に変わったことから呼ばれるようになったといわれています。
江戸時代の終わりには、鯉城と呼ばれていたそうです。
なお、広島東洋カープの名前は、英語で鯉という意味で、広島城が鯉城と呼ばれていたことから名付けられました。